アイドルのメンタル不調は心理面だけが原因なのか 疲労・栄養・自律神経の観点から考える

アイドルのメンタル不調は心理面だけが原因なのか 疲労・栄養・自律神経の観点から考える

TOMOYUKI SHIMAWAKI(島脇 伴行) ヘルスディレクター/運動生理学士|BODY DIRECTOR

参考文献:査読済み臨床試験・系統的レビュー

この記事でわかること
  • メンタル不調に見えても、疲労蓄積・栄養状態・自律神経の乱れといった身体的要因が関与していることがあり、心理面だけを原因とすることの危うさを理解できる
  • うつ病と慢性疲労症候群(HPA軸機能低下)は症状が非常に似ているが、身体の中で起きていることが正反対であることを知ることができる
  • 鉄・ビタミンDの不足が抑うつ症状や疲労感と関連することを示す研究がある一方、個人差が大きくすべての事例に当てはまるものではないことを理解できる
  • HPA軸機能低下の状態でウェイトトレーニングなどの高負荷運動を行うことが逆効果になる理由と、その見極め方を知ることができる
  • ヘルスコーチとして個に介入し、ヘルスディレクターとして全体構造を設計・監督する、その両方の視点がアイドルの体調管理に必要な理由を理解できる

「メンタルが弱いから」「気持ちの問題だから」。アイドルが体調を崩したとき、こうした言葉で片付けられることが少なくありません。しかし、600公演以上の現場でアーティストのコンディションを見てきた立場から言えば、メンタルに見える不調の背景に、身体の生理学的な問題が潜んでいることは珍しくありません。疲労の蓄積、栄養状態の偏り、自律神経の乱れ。これらは気合いや根性では解決できないものです。この記事では、アイドルのメンタル不調を「心理面だけの問題」として捉えることの危うさと、身体と心をつなげて俯瞰的に見ることの重要性を、運動生理学の観点からお伝えします。

<体験談> ウェイトトレーニングの反応で気づいた「疲弊のサイン」

あるアーティストとのセッションのことです。普段その方がいつも使っている重量でのトレーニング中、明らかにいつもと違う反応がありました。動作の質の低下、集中力の散漫さ、そして負荷に対する身体の応答の鈍さ。数字には現れないのですが、長く現場で見ていると、これが「疲弊期のサイン」だということが分かってきます。

ウェイトトレーニングには、身体にとっての高ストレス運動になる負荷の閾値があります。通常時であればその重量をこなせていた方が、明らかに反応が変わっていた。えっ、と思った瞬間でした。その日のセッションの方向を即座に変え、負荷を落とした軽い動きと、今の状態についての聴き取りに切り替えました。

なぜアイドルのメンタル不調は繰り返されるのか

アイドルの仕事は、身体への要求が非常に高い職業です。振り付けの習得、長時間のリハーサル、特典会やSNS対応、そして本番のステージ。これらが過密なスケジュールの中で連続します。

睡眠時間が削られ、食事のタイミングが乱れ、回復する前に次の稼働が始まる。この繰り返しが続くと、身体は慢性的なストレス状態に置かれます。その結果、気力の低下、集中力の散漫さ、感情のコントロールの難しさといった症状が現れ始めます。これらは一見「メンタルの問題」として映ります。しかし実際には、身体が悲鳴を上げているサインである場合が多いのです。

問題は、「心の問題」と判断された瞬間に、身体へのアプローチが後回しになってしまうことです。心理カウンセリングは重要ですが、それだけでは改善しないケースがあります。なぜなら、原因が身体の生理学的な機能低下にある場合があるからです。

01
過密稼働
リハーサル・特典会・SNS対応が連続し、回復する前に次の稼働が始まる構造的な問題。
02
睡眠・栄養の乱れ
移動・撮影・夜間稼働によって、食事のタイミングと睡眠が慢性的に乱れやすい環境にある。
03
原因の誤認
身体的な機能低下が「メンタルの問題」として判断され、身体へのアプローチが後回しになりやすい。
04
個別性の欠如
同じ症状でも原因は人によって異なる。画一的なアプローチでは根本的な改善につながりにくい。

うつ病とHPA軸機能低下はどこが違うのか

HPA軸とは、視床下部(Hypothalamus)・下垂体(Pituitary)・副腎(Adrenal)をつなぐストレス応答システムのことです。慢性的な過負荷が続くと、このシステムが機能低下を起こすことがあります。

症状だけを見ると、うつ病とHPA軸機能低下は非常によく似ています。疲労感、気分の落ち込み、集中力の低下、睡眠障害。どちらも同じような症状が現れます。しかし、身体の中で起きていることは正反対です。

症状は似ていても、身体の中では逆のことが起きている

うつ病では、HPA軸が過剰に活性化し、コルチゾール(ストレスホルモン)が高い状態が続きます。一方、慢性的な過負荷によるHPA軸機能低下では、逆にコルチゾールが低下した状態になります。同じ「疲れている・落ち込んでいる」という訴えでも、身体の中の状態が逆であれば、必要なアプローチも変わってきます。

Research — Journal of Psychiatric Research, 1997

PubMedにて確認済みの研究(Demitrack, 1997)は、慢性疲労症候群とうつ病ではHPA軸の反応パターンが異なることを指摘しています。うつ病で見られるコルチゾール高値とは逆に、慢性疲労症候群では中枢神経系の持続的な抑制が観察され、同一の病態ではないと論じています。DOI: 10.1016/s0022-3956(96)00059-3

Research — European Journal of Cancer Care, 2004

PubMedにて確認済みの研究(Reuter & Härter, 2004)は、疲労症状はうつ病の症状リストにもすべて含まれており、疲労症状だけでは両者を区別できないことを示しています。鑑別には「休息しても回復しない」「運動後に悪化する」といった反応パターンの観察が手がかりになります。DOI: 10.1111/j.1365-2354.2003.00464.x

症状 うつ病 CFS/HPA軸機能低下 備考
身体症状
強い疲労感・倦怠感 最も重複する症状
睡眠障害(不眠・過眠) 両疾患で高頻度
頭痛・筋肉痛 重複あり
運動後の著しい消耗(PEM) CFSの特徴的症状
コルチゾール値の変化 高値傾向 低値傾向 方向が逆
精神・認知症状
気分の落ち込み・抑うつ気分 見た目の症状が一致
集中力・記憶力の低下 「ブレインフォグ」はCFSで顕著
希死念慮・絶望感 うつ病に特徴的
罪悪感・自己否定 うつ病の心理的中核症状
休息しても回復しない疲労 CFSの中核。うつは休めば改善傾向

●両疾患に共通 ▲うつ病に特徴的 ◆CFS/HPA軸機能低下に特徴的。PubMedにて確認済み(Demitrack 1997 / Reuter & Härter 2004)に基づく研究上の症状分類。診断は医師の領域です。

また、HPA軸機能低下の状態において見落とされがちなことがあります。それは、強い運動が逆効果になるという点です。ウェイトトレーニングのような高負荷運動は、身体にとって強いストレス刺激です。通常時であれば適切な刺激として機能しますが、HPA軸機能が低下しているときにこれを行うと、回復をさらに遅らせる可能性があります。だからこそ、今がどの状態にあるのかを見極めることが先決なのです。

栄養と心の状態はつながっているのか

この章について — 注意点

以下に紹介する研究は、栄養と抑うつ症状・疲労感の関連を示す一部の研究における傾向です。個人差が大きい領域であり、すべての事例に当てはまるものではありません。栄養状態のアセスメントと対応は、医師または専門家の指導のもとで行うことを推奨します。

メンタル不調の背景に、栄養状態の問題が関与していることがあります。特に注目されているのが、鉄とビタミンDです。

Research — Zeitschrift für Gastroenterologie, 2020

PubMedにて確認済みの研究(König et al., 2020)によると、鉄欠乏・貧血の患者は抑うつ症状が有意に高く(p=0.02)、疲労傾向も認められています。アイドルの現場では、食事のタイミングや内容が乱れやすく、鉄不足が慢性化しやすい環境にあります。DOI: 10.1055/a-1283-6832

Research — International Journal of Molecular Sciences, 2022

PubMedにて確認済みの研究(Kouba et al., 2022)は、ビタミンD欠乏が抑うつ・不安リスクの上昇と関連することを示しています。抗炎症・神経修復作用がメカニズムとして示唆されています。屋内での活動が多いアイドルは、日照不足によるビタミンD不足に陥りやすい傾向があります。DOI: 10.3390/ijms23137077

例えば、声帯炎を繰り返すアーティストに整体を行っても、改善が限定的なことがあります。炎症が起きやすい食事や生活習慣になっている場合、あるいは慢性的な疲弊状態が根底にある場合、アプローチの入り口は整体ではありません。栄養状態の見直し、生活習慣の改善、場合によってはコーチングによる心理的アプローチが先に必要なこともあります。これが「個別性」ということです。

<体験談> 「休んでください」をマネジメントに伝えた日

ツアー中のことです。連日のステージをこなすあるアーティストの状態が、日を追うごとに変化していくのを感じていました。筋力チェックの数値の変化だけでなく、動作の質、集中度、そして会話の中に見える思考の重さ。これは休ませなければいけない、と判断しました。

ただ、本人はまだやれると言っていました。アーティスト本人の「やれます」という言葉をそのまま受け取ることの危険性を、私はよく知っています。だからこそ、私はマネジメントに直接伝えました。「今の状態を続けることは、この先のパフォーマンスに影響します。今日は休ませてください」と。これは越権行為ではありません。俯瞰的に健康の構造を見て、危機的状況と判断したときに本人だけでなくマネジメントにも伝える。それがヘルスディレクターの役割のひとつです。

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ヘルスコーチとヘルスディレクター、それぞれの役割

現場で私がヘルスコーチとして行うことは、「今この人の身体はどの状態にあるのか」を個別に見極めることです。表情や動作、トレーニングへの反応、会話の中に出てくる言葉。これらを総合的に観察し、今必要なアプローチをその人に合わせて判断します。

HPA軸機能が低下していると判断したとき、強い運動は行いません。その時期は生活の確認と見直しを優先します。多忙な時期にすべてを変えることは難しい。だからこそ「何かを取り組む」だけでなく、「何かを減らす・やめる」という視点でその人と一緒に考えます。これがヘルスコーチとしての個別介入です。

一方、危機的な状態と判断したとき、私はヘルスディレクターとして動きます。本人だけでなくマネジメントにも状況を伝え、スケジュールや稼働構造そのものへの介入を促します。個人の意識や努力で解決できる問題ではないと判断したとき、組織全体に向けて働きかけることが必要になるからです。

もちろん、専門家が常に近くにいられるわけではありません。しかし、今回お伝えした「身体の仕組みと症状の背景」を知っているだけで、自己の認知に変化が生まれます。「これはメンタルだけの問題ではないかもしれない」という気づきが、適切なサポートを求める最初の一歩になります。アイドル本人だけでなく、マネージャー、事務所スタッフ、レーベルの担当者にとっても、この視点を持つことがメンバーを守ることにつながると考えています。

アーティストに帯同するトレーナーの役割と現場の実態については「アーティスト帯同トレーナーとは何をする職業か|600公演の現場から」で、また事務所が体調管理の仕組みをどう構築するかについては「アイドルの体調管理を事務所はどこまで担うべきか|責任分担と仕組み化」で詳しく解説しています。あわせてご覧ください。

注意点・エビデンスの限界について

本記事で紹介した研究知見は、一部の研究における傾向であり、すべての事例に当てはまるものではありません。うつ病・慢性疲労症候群・HPA軸機能低下の診断は医師の領域であり、著者がコメントする立場にありません。ご自身または周囲の方の症状について気になる場合は、まず医療機関にご相談ください。本記事はあくまで、運動生理学および現場経験の観点からの考察として提供するものです。

まとめ 知ることが、最初の一歩になる

アイドルのメンタル不調を「心理面だけの問題」として捉えると、本来必要なアプローチが見えなくなります。疲労の蓄積、栄養状態、自律神経の乱れ、HPA軸の機能状態。これらを総合的に見ることで、初めて「今この人に何が必要か」が見えてきます。

整体をすれば解決するわけでも、カウンセリングだけで回復するわけでも、栄養を補えばすぐ戻るわけでもない。個別性があるからこそ、ヘルスコーチが一人ひとりに寄り添い、ヘルスディレクターが全体の構造を設計・監督する。その両方の視点が、アイドルの体調管理には必要です。この記事が、アイドル本人とその周囲の方にとって、体調の見方を広げるきっかけになれば幸いです。

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References
  1. Demitrack MA. Neuroendocrine correlates of chronic fatigue syndrome: a brief review. J Psychiatr Res. 1997;31(1):69-82. PubMedにて確認済み. DOI: 10.1016/s0022-3956(96)00059-3
  2. Reuter K, Härter M. The concepts of fatigue and depression in cancer. Eur J Cancer Care (Engl). 2004;13(2):127-34. PubMedにて確認済み. DOI: 10.1111/j.1365-2354.2003.00464.x
  3. König P, et al. Iron deficiency, depression, and fatigue in inflammatory bowel diseases. Z Gastroenterol. 2020;58(12):1191-1200. PubMedにて確認済み. DOI: 10.1055/a-1283-6832
  4. Kouba BR, et al. Molecular Basis Underlying the Therapeutic Potential of Vitamin D for the Treatment of Depression and Anxiety. Int J Mol Sci. 2022;23(13). PubMedにて確認済み. DOI: 10.3390/ijms23137077
Author
島脇 伴行(しまわき ともゆき)
BODY DIRECTOR 代表 / アメリカスポーツ医学会認定・運動生理学士 / ヘルスコーチ(心理学学位取得済)
ACSM認定運動生理学士
ACSM 認定運動生理学士
世界最大の運動医学組織

1977年生まれ。2002年パーソナルトレーナーとして開業。2005年、日本で初めてとなる完全個室の表参道プライベートジム「BODY DIRECTOR」を設立。

クライアントはエンターテイメント業界のアーティストや企業経営者が中心。2007年からスタジアム・ドーム・アリーナ各種ツアーへの帯同を開始し、600公演以上の現場でアーティストのコンディショニング・栄養指導・整体・コーチングを担当。ヘルスコーチとして個別の身体的課題に介入しながら、ヘルスディレクターとして俯瞰的・構造的に健康をマネジメントする新しい専門職の開拓者として活動している。

法人クライアント:株式会社ポニーキャニオン(IRORI Records)、株式会社ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス、株式会社トイズファクトリー、株式会社トランジットジェネラルオフィス、株式会社ラストラムミュージック、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント ほか。

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