腹圧と発声、姿勢と声質、フィジカルから見るシンガーのボイストレーニング

TOMOYUKI SHIMAWAKI(島脇 伴行) トレーナー/ヘルスコーチ|BODY DIRECTOR

参考文献:査読済み臨床試験・系統的レビュー

この記事でわかること
  • 「喉の筋肉を鍛える」とはどういうことか。声帯そのものを鍛えることと、声帯を支える体を整えることの違いが理解できる
  • 腹圧が高音・声量に影響するメカニズムを、呼気筋と声門下圧の観点から理解できる
  • 姿勢の崩れがなぜ声に影響するのか、頸椎・胸椎・骨盤の連動という観点から理解できる
  • シンガーに脊柱起立筋が発達しやすい理由と、歌唱が体に与える自然な適応を理解できる
  • 運動生理学士の視点から見た、シンガーの体づくりの評価と戦略の組み立て方がわかる

「喉の筋肉を鍛えたい」と思ったとき、何を鍛えるべきか考えたことがあるでしょうか。ボイストレーナーに発声の練習を積むことも大切ですが、私が600公演以上のシンガー帯同の現場で見てきた限り、声の問題が「声帯そのもの」だけに原因があることは、思っているよりずっと少ないと感じています。曲がった笛では、いくら息の吹き方を工夫しても、思い描いた音は出ません。声帯を支える体の土台を整えることが、シンガーのフィジカルコンディショニングの出発点です。

<体験談> 曲がった笛で音は鳴りますか

あるアーティストが初めて私のもとに来たとき、「高音が出にくくなった、声量が落ちた」と話していました。喉には問題がなく、レッスンも継続しているという状況でした。体を診ると、胸椎が丸まり、骨盤が後傾し、腹圧がほとんど使えていない状態でした。発声そのものではなく、まず全身のウェイトトレーニングを通じて体幹と姿勢を整えていくところから始めました。数ヶ月後、「音量と音域が上がった」という言葉が返ってきました。声帯への直接的なアプローチは、何もしていません。

私はよく「曲がった笛で音は鳴りますか」という話をします。息の吹き方や音を生み出す部分をいくら調整しても、笛そのものが曲がっていれば思い描いた音は出ない。発声も同じです。体の土台が崩れた状態で声を出し続けることは、曲がった笛を鳴らし続けることと変わりません。

「喉の筋肉を鍛える」とはどういうことか

「喉の筋肉を鍛えたい」という検索をしているとき、多くの人は輪状甲状筋(CT:Cricothyroid muscle)や甲状披裂筋(TA:Thyroarytenoid muscle)といった、声帯を直接動かす筋肉(内喉頭筋群)をイメージしているかもしれません。しかし、こうした筋肉は随意的に直接鍛えるものではなく、発声という行為を繰り返すことで機能が維持・向上します。ボイストレーニングで「喉を鍛える」とは、この発声行為の積み重ねです。

私が運動生理学士として関わるのは、そこではありません。声帯を取り囲み、支えている体全体のコンディション、つまり「土台」の話です。

声を出すという行為は、次の3つのシステムが連動しています。

01
呼吸系
横隔膜・腹筋群・肋間筋が声門下圧(声帯の下の空気圧)を生み出す。発声の「エンジン」にあたる部分。
02
発声系
声帯(声門)が空気を振動させて音を作る。CT・TAなど内喉頭筋群が関わる。ボイストレーニングが主に働きかける部分。
03
共鳴系
咽頭・口腔・鼻腔が音を増幅・変容させる。姿勢や頸椎のポジションによって共鳴腔の形が変わる。

ボイストレーニングが主に「発声系」と「共鳴系」に働きかけるのに対し、フィジカルコンディショニングが直接関わるのは「呼吸系」と、それを支える姿勢・体幹の基盤です。この視点がBODY DIRECTORでシンガーに関わる際の出発点になっています。

声門下圧とは何か

声の高さと大きさを決める主要な要素のひとつが「声門下圧(subglottal pressure)」です。これは声帯の下に生まれる空気圧のことで、この圧力が高いほど高音が出やすく、声量も上がります。

声門下圧を生み出すのは、横隔膜と腹筋群を中心とした呼吸筋です。腹圧のコントロールが、声門下圧に直接関わっているのです。

Research — PLoS ONE, 2016

プロのクラシック歌手と非訓練者の呼吸パターンを比較した研究。訓練された歌手では、発声前に腹壁を内側へ引き込む特有の動きが確認された。これが腹腔内圧を上昇させ、呼気筋の圧力産生能力を高める可能性が示された。非訓練者にはこのパターンが見られなかった。

姿勢が崩れると声はどう変わるか

「声のことは喉の問題」と思われがちですが、姿勢と声質の関係は研究でも確認されています。プロのオペラ歌手98名を対象にした調査では、姿勢への意識が高く、歌唱の一部として姿勢改善に取り組んでいたシンガーほど、声の障害が少なく、声質の保全に優れていたことが報告されています(Journal of Voice, 2024)。

また、頸椎の姿勢変化と咽頭気道空間の関係を調べたX線研究では、歌唱時の頸椎の位置と咽頭の広がりに有意な相関があることが示されています(European Spine Journal, 2009)。声の共鳴腔のかたちは、頸椎のポジションによって変わる。つまり、姿勢は声の「器」そのものに影響しているのです。

Research — Journal of Voice, 2024

プロのオペラ歌手98名を対象にした研究。姿勢に意識を向けて歌うシンガーほど、声の障害が少なく、長期的な声質の保全に優れていたという結果が出ている。発声と姿勢を切り離して考えることには限界があることを示唆している。

頸椎・胸椎・骨盤の連動

体は一つの連動システムです。骨盤が後傾すると腰椎が丸まり、胸椎の後弯が強まり、頭部が前方に出ます。この状態では、横隔膜の可動域が狭まり、咽頭の気道空間も変化します。

現場での観察では、次のような姿勢の崩れを持つシンガーが多く見られます。

A
頭部前方変位
いわゆるスマホ首。頭部が前方に出ることで頸椎に負荷がかかり、咽頭の空間的な余裕が失われやすい。
B
胸椎後弯(猫背)
長時間の座位や前傾姿勢が原因。胸郭が閉じることで横隔膜の可動域が狭まり、呼吸が浅くなる。
C
骨盤後傾
腹圧が抜けた状態と連動しやすい。腹筋群を有効に使えず、声門下圧のコントロールが難しくなる。

これらは発声練習の前に整えるべき、いわば「楽器のチューニング」に相当します。体の評価なしに発声だけを改善しようとすることは、チューニングされていない楽器で演奏の精度を上げようとすることに似ています。

<体験談> 私自身の体験から

私自身、体幹の腹圧を高めるトレーニングを継続した時期に、話し声の変化を実感しました。声の「下」が安定した、という感覚です。低音域が落ち着き、話し声に芯が出た。高音でもなく声量でもなく、「声の安定感」が先に変わりました。

シンガーが感じる「声の調子がいい日と悪い日」の差も、こうした体の土台のコンディションと無関係ではないと、現場の経験から感じています。声だけを診るのではなく、体全体を診る視点が必要なのはそのためです。

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シンガーに起立筋が発達しやすい理由

現場で多くのシンガーを見てきて気づいたことのひとつが、シンガーは脊柱起立筋(腰から背中にかけての深層筋)が強い傾向にあるということです。これは意識的に鍛えた結果ではなく、歌唱という行為を繰り返す中で自然に発達すると考えられます。

声を出すとき、体幹を安定させながら呼気をコントロールするという動作が、繰り返しの負荷として体幹深層筋に加わります。その積み重ねが、起立筋群の自然な発達につながっているのではないかと私は見ています。

これはひとつの重要な示唆を含んでいます。シンガーの体は「歌うことで自然に適応している」という事実です。だとすれば、フィジカルトレーニングの目的は、その適応を促進し、偏りを修正し、弱点を補うことにある、と言えます。

評価と戦略の立て方

私がシンガーと最初に行うのは、発声の悩みだけでなく、姿勢・体幹の機能・筋力バランスを評価することです。そのうえで、「どのような戦略で改善していくか」「どのレベルまで取り組むか」を一緒にディスカッションしながら目標設定を行います。

全体像は次の3段階で整理できます。

Stage 1
評価
姿勢・体幹・呼吸パターン・筋力バランスを確認する。「今、何が崩れているか」を明確にする段階。
Stage 2
土台の修正
姿勢の崩れを引き起こしている筋肉のアンバランスを整える。柔軟性・可動域の改善と、弱化した筋肉の活性化。
Stage 3
強化・統合
体幹の腹圧トレーニング・呼吸筋トレーニング・全身の筋力強化。声を支える土台を積み上げていく段階。
注意点・エビデンスの限界について

本記事で紹介した研究は、クラシック歌手・オペラ歌手を対象にしたものが中心です。ポップス・ロック・その他のジャンルのシンガーへの直接的な適用には注意が必要です。また、姿勢・腹圧と声質の関係については研究が進みつつある段階であり、すべての知見が確立されたものではありません。島脇の現場観察については「現場での経験から」と明記し、研究エビデンスと区別しています。フィジカルトレーニングを開始する際は、頸椎・腰椎の疾患等がある場合には医師へのご相談を推奨します。

まとめ フィジカルから発声を考えるということ

「喉の筋肉を鍛える」という問いに対して、この記事で伝えたかったのは「声帯そのものではなく、声帯を支える体の土台を整えることが先決である場合も多い」という視点です。腹圧と声門下圧の関係、姿勢と咽頭空間の関係は、研究でも裏付けられています。

現場では、全身のトレーニングによって音域と声量が変わったシンガー、腹圧トレーニングで話し声が安定した経験が積み重なっています。ボイストレーニングとフィジカルコンディショニングは対立するものではありません。声を仕事にする人に必要なのは、この二つを統合した視点ではないかと、私は考えています。

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References
  1. Maclagan M, et al. “Breathing and Singing: Objective Characterization of Breathing Patterns in Classical Singers.” PLoS ONE. 2016. DOI: 10.1371/journal.pone.0155084
  2. Pérouse de Montclos H, et al. “Associations of Postural Activities and Knowledge for Voice with Breathing Issues and Voice-Physical-Disorders Among Lyric Singers.” Journal of Voice. 2024. DOI: 10.1016/j.jvoice.2023.11.014
  3. Johnson G, Skinner M. “The demands of professional opera singing on cranio-cervical posture.” European Spine Journal. 2009. DOI: 10.1007/s00586-009-0884-1
  4. Maiti AB, et al. “Effects of the Change in Respiratory Kinematics on the Singing Voice.” Journal of Voice. 2024. DOI: 10.1177/01455613241305984
  5. Brown OL, et al. “Effects of Respiratory Muscle Strength Training in Classically Trained Singers.” Journal of Voice. 2018. DOI: 10.1016/j.jvoice.2017.09.002
Author
島脇 伴行(しまわき ともゆき)
BODY DIRECTOR 代表 / アメリカスポーツ医学会認定・運動生理学士 / ヘルスコーチ(心理学学位取得済)
ACSM認定運動生理学士
ACSM 認定運動生理学士
世界最大の運動医学組織

1977年生まれ。2002年パーソナルトレーナーとして開業。2005年、日本で初めてとなる完全個室の表参道プライベートジム「BODY DIRECTOR」を設立。

クライアントはエンターテイメント業界のアーティストや企業経営者が中心。2007年からスタジアム・ドーム・アリーナ各種ツアーへの帯同を開始し、600公演以上の現場でアーティストのコンディショニング・栄養指導・整体・コーチングを担当。筋トレだけでは健康効果に限界があるとの考えから、生化学を基にした栄養指導、自律神経系の調整に有益な整体をパーソナルセッションとして提供。

法人クライアント実績:株式会社ポニーキャニオン(IRORI Records)、株式会社ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス、株式会社トイズファクトリー、株式会社トランジットジェネラルオフィス、株式会社ラストラムミュージック、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント ほか。